
L’atelier de Hです。
先日instagramに投稿しましたが去る7月12日は祖母の15回目の命日でした。
今も元気だったらちょうど100歳です。

これは多分、20年くらい前に家族で香港に行った時の写真です。
はい!とてもちっちゃい祖母です。
140cmあるかないか
でも中身は凄かった。。。
まーこの世代だとみんなそうなんだろうなーと。
編み物、和裁、洋裁、料理も本格的!
そんな祖母と生まれた時からずっと暮らしていた私はその様子を見るのが当たり前の生活を送っていました。
なので祖母がしていることに興味を持っていて、、。。
冬になると編み物をするのが常だったのでそれを見て自然に教わるようになりました。
いつだったか、はっきりとは覚えていません。
妹がひたすらかぎ針で長〜い鎖を編み続けてたのはなんとなく記憶があります、笑。
とにかく手袋、それも5本指の手袋ばかり編んでました。
クロバーの金属針5本です。
今では5本針でも10cm級の短い物がありますが当時は15cmが一番短い針だったかな???
よく編んでたと思います。
また金属だったので竹に比べて重いので指に負荷がかかっていたのも事実。
針も進化してとても軽くなりました
そんな祖母の思い出箱、全部とってあります。

これでもか!ってほどたくさんあります。
ほとんどの号数が揃っていると思います。
クロバーのプラスチック製は号数によって色分けがありました。

竹の針もたくさん!
クロバーを初め、ニッケ、スキー、トップ、などなど今では懐かしいメーカーもあるのかな???
竹の針はよく使っていたようで針先が丸くなってたり、曲がって(しなって)いる物もあります。

ブロッキングピンもありました。
ダルマ製です。
かと思えば・・・


アフガン針もありました。
片先、両先それぞれ。。。
アフガン編みをしていた記憶が私にはありません
今でも試し編みなど編む時はここから針を出してきて編んだりしています。
輪針を使うことが多いのですがスワッチなどのサンプルなどは棒針の方がゲージが安定してでます。
輪針のコードのようなお遊び部分がないから。。。
このお針箱を開ける度に、祖母の編み物の風景を思い出します。
昼間、窓際の明るい和室で座布団敷いてちょこんと座ってね。
夜は電気の光だと見えにくいからと言って全くしませんでした。
で、間違ってもないのに気に入らなかったら全部解いてました。
ゲージは必ずと言っていいほどとっていたし、、
私が編み物本から選んだウエア物の毛糸を買いに行くのも一緒に行って当時結構高かったであろう輸入の毛糸を買ってくれてました。
今でもある神戸、三宮高架下商店街の「ユニオン毛糸」です。
当時は三宮のセンター街の入ってすぐのビルの2階?3階にもお店があってほぼどちらも立ち寄っていた記憶があります。
買ってもらっては祖母の部屋に籠もって一緒に編み物したなー
編むだけ編んで、綴じはぎは全て祖母がしてくれていました。
学生時代まではいろんな物を編んでいましたが社会人になってから少し遠のいてしまった。
でも、まさか祖母が亡くなって今、編み物を再開するとは思っても見ませんでしたが何がきっかけかわかりません。
そして今では「好きを仕事に!」で今の私がいます。
編み物を再開した頃にまだ祖母が元気だったらきっと一緒に編んでただろうなーと思います。
英語の編み図もチャレンジしたかな〜???
なので編み物している時はなんとなくですが祖母が近くにいてくれてるような気がしています。
このお針箱にはたくさんの思い出も詰まっています